DUGに行って、ノルウェイの森を思い出したこと
今日、友達と一緒に昼食を食べて、本屋に行って、お茶をした。
偶然通りかかって、人生二度目の新宿のDUGに入った。なつかしい。前に行ったのは、たぶん20歳くらいの時だと思う。『ノルウェイの森』を読んで、憧れて行った。ワタナベくんと緑がジントニックを飲んでいた、はず。当時はジントニックもたいして美味しく思えなくて、同じようにジントニックを飲みたかったけど、やめてロイヤルミルクティーを飲んだのを記憶している。今日もアイスカフェオレを飲んだ。
『ノルウェイの森』について書くつもりではなかったけど、思い出したらまた改めて読みたくなった。調べてみたら、当時に書いた感想が残っていた。初めて読んだのは高校二年生のときで、二年後に読み返したらしい。そしてジントニックではなくて、ウォッカ・トニックらしい。我ながらかなりジャストな年齢で読んでいたことに驚く。
初めて読んだのが高校二年生の夏。
二年ぶりにちゃんと読み返してみました。
ほんとにね、登場人物みんなが大好き。
切なくなるくらいみんな大好き!!
久々だったけどこんなに素敵な物語だったんだって、改めて思いました。
死は悲しいけれども別れではない。
生と死は対極関係ではなくてそばにあるもの、直子は死んでも直子に会えなくなるわけではないというのがいいなー。
本当に切なくて優しい世界。
と言うより、優しいものっていつもどこか切ないんだろうなって思いました。
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村上春樹の本に出て来る女の子って本当にみんなキュートでちょっと変わってて、いつも読んでるとこんな風になりたい、こんなしゃべり方したいって思っちゃう。
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でも何より、もうすぐ二十歳っていうワタナベくんや直子、緑と同じ歳の今これを読んだら、なんだか前よりずっと考えなきゃいけないことがある気がしました。
特に、ワタナベくんのおいキズキ、で始まることば。
大人になるんだよ。そうしなくてはならないからだ。
俺はこれまでできることなら十七や十八のままでいたいと思っていた。でも今はそう思わない。
俺はもう十代の少年じゃないんだよ。
俺は責任というものを感じるんだ。
俺はもう二十歳になったんだよ。
そして俺は生きつづけるための代償をきちっと払わなきゃならないんだよ。
で、この小説はボブ・ディランのKnockin On Heaven's Doorが合うと思う、と締めくくっていた。どこでそんなの知ってたきたんだろう、17歳のときに…と思ったけど、おそらく伊坂幸太郎の「神様の声」のくだりか、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の中の「雨降りを眺めている子ども」(確かそんな感じ)のくだりだろう。
もうずいぶん前のことだし、今よりずっと幼かったはずの自分だけど、それなりに色々考えて、色々なものを吸収していたんだなと思う。そして、20代の半ばになった自分が読んで、どう感じるのかを知りたい。
やっぱりこの頃に読んだものは、今でも自分の価値観形成に大きく関わっていると思う。
本当は全然違うことを書こうと思っていたのに、ノルウェイの森の話になってしまった…