優しい文章を書きたい

あけすけすぎず、愚痴らず、でも素直な気持ちでいろいろ書きたいです。

繰り返し読むこと(2)デッドエンドの思い出

『デッドエンドの思い出』は、単行本が発売されたころに買って読んだ記憶がある。……と思って奥付を見てみたら12年も前。ずいぶん前のことだ。

短編を読むのが久しぶりだったからかもしれないけど、いつもの雰囲気とずいぶん違う気がした。たぶん、登場人物たちが、なんとなく“普通”の人々であることが原因であると思う。自分に近い。特に、表題作のミミちゃんは同い年で、だからこその「どこにでもある、ふつうな」悲しい顛末にとても心が痛くなった。でも、間違いなくその先に光が見えている中で、じっと傷んだこころを癒していく様子は、つらいばかりじゃなくむしろ快く感じた。だいじょうぶ、あともう少し、と応援しながら読む一方で、自分も応援されているような。

読み終わって、あとがきを読んで、なんとなく納得した。

 

この短編集は私にとって「どうして自分は今、自分のいちばん苦手でつらいことを書いているのだろう?」と思わせられながら書いたものです。(中略)

読み返すと、人生のいちばんつらかった時期のことがまざまざとよみがえってきます。だからこそ、大切な本になりました。(中略)

読んでくださった皆様も、「なんでこんなつらいものを金を出してまで読んでいるのだ!」と思ったかもしれないけれど、この切なさは(もしたまたま気が合って、これを読んで切ないと思ってくださったなら)、きっとなにか必要なものなのだと、私はなんとなく思っていますので、許してください。

私はばかみたいで、この小説集に関しては泣かずにゲラを見ることができなかったですが、その涙は心の奥底のつらさをちょっと消してくれた気がします。皆様にもそうでありますよう、祈ります。

よしもとばなな『デッドエンドの思い出』p.228-9

 

たぶん、初めて読んだころには、こんな痛み、理解できなかっただろうと思う。ちょっと切ないな、くらいで。

痛みを見てみないふりをすると余計に悪くなってしまったりして、どんどん癒えるのに時間がかかってしまう。本当は誰もが、ちゃんと自分の傷を自分で確認して、手当てを施す必要があるのだと思う。でも、自分がどんなにダメージを受けたのか直視するのはこわい。だから人は物語を求めるんじゃないだろうか。だれかに自分を重ねて、痛みに向き合って、少しずつ癒していくんじゃないだろうか。

年をとるのも悪くないな、いろんなことが見えるようになるし、お酒だってのめるし、と思った。いろんなことに対してざっくりバランスをとって生きていくのがいいんだな。またいつか読み返したとき、なつかしくほほえましく思えるようになっているのだろうか。