優しい文章を書きたい

あけすけすぎず、愚痴らず、でも素直な気持ちでいろいろ書きたいです。

学会のこと、フィリパ・ゴードンについて

夏に、イギリスで開催される学会に行けることになった!

発表要旨を提出したものの、先生や研究員のお姉さまには年明けすぐに来ていた申し込みのお知らせが、いつまでたっても来なかったので、もう諦めて聴講のみの目的で行こうかと思っていたのだ。それが、昨日の夜、「遅くなって本当にごめんなさいね、でも反応は上々でしたよ、ぜひ夏にお会いしましょう」ってメールをくれた!

もうなくなったものだと信じていたところから、修論と同時進行で夏に向けてひとつ論文を完成させなくてはならない。しかも、苦手で仕方ない英語で。頑張らなくちゃ。

でも、本当に嬉しい。イギリスにどうしても、いつか、行ってみたかった。児童文学の聖地。しかも行くならぜひとも教授と研究室の人たちと行きたかったのだ。同じことで興奮して喜べて、勉強もできるだろう。嬉しい!どのくらい費用の補助はもらえるのかしら。なんにせよ嬉しい、プレッシャーの方が大きいのも本当だけど、でも素直に喜ぼう。

 

なんとなくUSBの中を見ていたら、1年くらい前に新潮文庫の「私の一行」に応募した文章がでてきたから、ちょっと直して貼ってみる。

『アンの愛情』のフィリパ・ゴードンについて書いたもの。

「あたしはみんなの顔を見てにっこり笑い、この世は美しいなと思ったの」

 

電車の中で、どこかにしまったはずの運賃を探してオロオロする。フィルと同じように、何かをなくして「ぞくっと寒気がした」経験は、わたし達にも一度や二度必ずあることと思います。

まさに先日、わたしも似たようなことがありました。お財布のなかに入れたはずのネイルのオフ無料券。電車の中で確認しても、どうしても見つかりません。これがなくては千円かかってしまう…たった千円、されど千円。たいしたことではないのに、無性に悲しくなりました。

そのときハッと、かばんの内ポケットに入れたことを思い出したのです。何事もなかったかのようにそのチケットをしっかりとお財布にしまいこんだあと、フィルのこの言葉が浮かびました。

一瞬の間に絶望と安堵を覚えることは、いつも周りを取り巻く世界がいかに優しく安心できるものであるかを思い出させてくれます。世界ににっこり笑いかけたくなる気持ち。そうして「この世は美しい」と思えるフィルのまっすぐで正しい明るさ。日常のちいさな悲しみも喜びも、世界の美しさのうちだと感じられる彼女のようでありたいと思いました。 

今読み返すと文章自体はまるごと書き直したいけど、言いたいことはわかるしやっぱりモンゴメリはいいなと思う。フィル、かわいい、大好きだ。

 人生のきらきらをそっと、静かに待ちたい。