ぶさいくな人生を踏みしめてる
「ぶさいくな人生を踏みしめてる」
これ、スピッツの「三日月ロック その3」の歌詞です。
半年近くぶりに日記を書いてみる。去年の秋からずっと、毎日の記録はとっていたのですが、日記は書いていなかった。そして、さっきから昔の日記をすこし読んでいる。ちょっと切ない。その時々の小さな喜びとか、痛い気持ちとかが、時間を経てすこしきれいなかたちで見えるような気がする。
最近、ちょっとおかしかったかも、というくらい一つのことにはまりすぎていて、まずかったなぁ。。。
スピッツとチャットモンチーを聞いたら、それがリセットされたというか、もともとの私に少し戻ったというか。
今、ものすごくたくさんの鎧を心にまとっているような感じなのです。重くて、硬くて、攻撃されまいと気を張っているような……
環境の変化
約二週間ほど前に、ものすごい家庭内発表が行われた。
端的に言うと、20年以上住み続けた生活の場が移動するという話。
それを知ってから二週間弱、イケア行ったりニトリ行ったり(格安家具屋ばっかり笑)シルバーウィークをフルで潰して、新生活の準備をした。ちなみにイケアには、三日連続通った。
置こうと思っていた場所にベッドが10センチオーバーで入らなかったり、初めての集合住宅で犬を飼うという経験にドキドキしたり、とにかくめまぐるしくていつの間にか終わってしまったような連休だったけど、なんとか無理して、最終日に新居で夕ご飯を食べて、泊まることができた。今、お風呂から上がってバルコニーでこれを書いています。静かで涼しくて、これが自分の家なんて信じられない(笑)。
習慣となった、朝と夜のミルクティーも、これからは外で飲んだりできそうです。おいしいし、きもちがいい。
そういえば、
イギリスに行ってからホットのミルクティーのおいしさに目覚めて、コーヒーよりも紅茶が飲みたい派になったのですが、20年以上生きてきてようやく最近紅茶の是非(個人的な)がわかるようになった。紅茶、おいしいものとまずいもの、全然違うのね。というか私は甘くない、普通のダージリンやアールグレイが好きみたい。イギリスで買ってきたトワイニングの「レディーグレイ」があんまりにもおいしくて、急に紅茶の味の好みがはっきりしてきました。朝、起き抜けと、寝る前の紅茶は1日の始まりと終わりに欠かせなくなった。
生活がきっとこれからがらりと変わると思う。
それにあたって、こういう、1日の中の自分にとって欠かせない習慣のようなものを、より大切に扱いたい、と思った。自分一人の時間を、充実したものにしたいな。
まだ電車は動いていて、人の営みが続いていることがかすかに感じられて、不思議な幸福感。
個人的研究進捗メモ
今週頭くらいから、一次文献の中からとにかく少しでもテーマに引っかかっている文章があれば、それを書き出して表にまとめるという作業をしています。
『遠い太鼓』の中から
自分の目で見たものを、自分の目でみたように書く――それが基本的な姿勢である。自分の感じたことをなるべくそのままに書くことである。安易な感動や、一般論化を排して、できるだけシンプルに、そしてリアルにものを書くこと。様々に移り変わっていく情景の中で自分をなんとか相対化しつづけること。もちろん簡単な作業ではない。うまくいくこともあるし、うまくいかないこともある。でもいちばん大事なことは、文章を書くという作業を自らの存在の水準器として使用することであり、使用しつづけることである。
今旅行記書いてるけど、ほんとうにこれが難しい
たまたま手にとって冒頭を読んだだけだけれど、まさに今、必要な文章だった
イギリスから帰って
昨日、イギリスから帰ってきた
今の◾︎◾︎さんは、とてもまっすぐに、自分が興味を持ったことを調べて、広げていきたい、というお気持ちが強いことと思います。
その様子は、先日も、大変よくわかりました。
聴衆が好意的だったのは、皆、そこに自身の研究者としての出発期の姿を重ねてみていたこともあったのでしょう。
それは、今だからこその特権でもあります。
修士論文に向けては、それを活かして進んでいらっしゃるとよいでしょう。
整える、仮想敵に備えるといったことは、その後でも十分にできることです。
あのキッチンでは、いろいろと申しましたが、それらのすべてを、今一時に吸収し応用しようなどとは、どうぞお考えになりませんように。
迷ったときは、「どうして大学院に行こうと思ったのか」「なぜ「アン」を扱おうと思ったのか」の原点に戻るのが最良と存じます。
本当に大切な物語について話すのはむずかしい
友達とやっている、ビブリオバトル。初めて設定する来月のテーマはずばり「夏」。
私は高校生の時から、夏が来る前に必ず夏を感じる物語を読むという自分ルールをもっているのですが、ここ三年ほど、吉本ばななさんの「N・P」を読んでいます。ものすごく好きで。
「夏がテーマなら、N・Pしかないでしょ!!」
と思ったのだけど、でもどうおすすめしようかなと思うと、とてもむずかしいことに気がついた。
たった5分で伝えられるようなあらすじや作品背景では、きっと伝わらないだろう。
泣きたいのか笑い出したいのか、よくわからなくなる痛みとか、昼間の暑さが吸い込まれていく夕方の青の色とか、引き伸ばされたような長い優しい夜とか。きれいな手紙とか。
ハラハラドキドキするミステリーやノンフィクション、SFなんかももちろん好きだけど、本当の意味で心を動かされて、ああこれ一生ものだ、と思う作品は、何がいいのかうまく言えない、ぼんやりと、でも強いものを心に残していくタイプのものなのだ。話の起承転結そのものが魅力ではないものなのだ。私にとって。
そのもやもやした、心を掴まれる優しさや切なさをどうにか文章にして、自分の中にひとつの形として落とし込みたくて、文学研究をしているんだと最近思う。このはっきりしない何かこそが私にとって大切にすべきものであり、価値あるものであり、原動力となるものなんだなって。だから何度だって繰り返し読みたくなる。
意外とみんな、実際的なのだ、本を求める理由が。そもそものタイプも全く違うような人と集まってるからというのもあるし、だからこそ面白い遊びだし、そのコンセプト通り「人を通して本を知る」ことができる。
だけど、こういう本当に大切な物語を勧めるには、なかなかむずかしい場だなと思う。
もっとうまく、自分の感情を言葉にできたらいいんだけど。人の前で言葉にするのもいい試みだと思うし、やってみよう。
「翠のこと、どの位好き?」
「うーん。」
茶を飲みながら彼は言った。
「こうして街を見ていて、行きかう女の顔が、みんな翠に見える。その位。……こういう歌、あったね。盗作だったか。」
「いい、言いかただね。」
私は言った。
「でもどうやってもうまくいかない。」
「大丈夫よ。」
「恐いんだ。」
時間が止まった。
きっと神様がその暖かいまなざしで、ちらっとここを見たのだろう。そういう平和だった。永遠の。夜の谷間。
『N・P』吉本ばなな p.126
N・Pの一番好きな部分。こういう痛みを伴う優しい文章がすごく好き。