「牡蠣フライの話」について
またこうやって、ちゃんと人に読まれる(かもしれない)ところで何かを書きたい、と思ったのは、村上春樹の『雑文集』の中の「自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)」という文章を読んだことがきっかけです。
読者からの「就活で、原稿用紙4枚以内で自分について書け、と言われた。僕にはできなかった、プロの作家ならできるのでしょうか?」という質問に対して、村上さんは
原稿用紙四枚以内で自分自身を説明するのはほとんど不可能に近いですね。おっしゃるとおりです。それはどちらかというと意味のない設問のように僕には思えます。
ただ、自分自身について書くのは不可能であっても、たとえば牡蠣フライについて原稿用紙四枚以内で書くことは可能ですよね。だったら牡蠣フライについて書かれてみてはいかがでしょう。
あなたが牡蠣フライについて書くことで、そこにはあなたと牡蠣フライとのあいだの相関関係や距離感が、自動的に表現されることになります。それはすなわち、突き詰めていけば、あなた自身について書くことでもあります。それが僕のいわゆる「牡蠣フライ理論」です。
(『雑文集』村上春樹 p.22)
と答えていた。
3回くらい読んで、とても納得した。そして、「よし、何か書こう」と思った。
そして村上さんが実際に牡蠣フライについて書いた文章も、とても素敵だった。揚げたての油がしゅうしゅうという音が聞こえてくるようで、それを今まさに口に運ぼうとする人間の幸福が自分のものであるかのように感じられて。
何かについて書こうと思って、日常をよく見ること、表現を探すこと、それらがうまくいけば自分について表すものの一部になってくれればいいと思う。そしてそれらができるだけ、やさしい色を帯びるように。
余談だけどこの『雑文集』、買ったのは実に3年近く前でした。京都に行った時に、夜に本屋さんを覗いて買ったんだった。どうして旅先でかさばる重い本を買おうと思ったのかはわからないけど、いいタイミングで読めたのかもしれないな。